人生二毛作のススメ 〜新入社員(古め)のブログ〜

日々の学びと気づきを綴っています

バス停のふたり


毎朝通るバス停には、白い杖をついた視覚障害のある女性がいる。彼女はいつも、区間開発工事の警備員さんの腕につかまり、バスを待つ列の先頭で、警備員さんと笑顔で何か楽しそうに話している。

2人の笑顔はおだやかで、いそぎ足で横を通り過ぎる私のことも、幸せな気持ちにしてくれる。


警備員さんは、女性を無事バスに乗せると、自分の持ち場に戻るのだろうな。

女性は警備員さんの声を聞き、腕の感触を日々感じ、どんな容姿の男性かと想像することはあるのだろうか。

その日の仕事を終えて帰宅した警備員さんは、奥様と晩酌しながら、女性と笑顔で話した内容を報告したりするのだろうか。独り身で、仕事中のことなど思い出さないのだろうか。それとも毎朝の女性との会話を楽しみにしているのだろうか。

もし、どちらかが具合を悪くしたりしてバス停にあらわれなかったら、その日をどんな気持ちで過ごすのだろう。

 

人間同士のドラマは、其処此処で生まれている。笑顔が笑顔であり続けることが奇跡に近くても、生まれていることそのものだけでいい。

 

決意表明

2016年の終わりにSNSにアップした文章。

この時の思いを忘れず、人生二毛作目を邁進できるよう、こちらにも貼っておきます。

 

>>>>>>>>>>>>

>>>>>>>>>>>>

2016年もあとわずか。通常の一年が果汁20%~50%くらいのジュースだとしたら、2016年は5倍濃縮原液そのまま。それほどの濃い一年間でした。

 

目の前のタスクをこなしながら、過去とも未来とも向き合い、迷いや恐れに押し潰されそうになりながらも、いつか深い森がひらけ、青空をみることができると自分に言い聞かせて、進んできました。

 

年の瀬の今、そんな手探りな状況が落ち着き、まさか人生の中でこのようなフェーズが訪れるとは思いもしなかった日々を送りながらしみじみと思うのは、やはり家族と友人の存在のありがたさです。

 

娘たちの存在がなかったら、私はそもそも大きな一歩を踏み出すことすらしなかったと思います。
成長した若い女性として、自身もまた、迷いながらそれぞれの人生を歩んでいるふたり。そんな彼女たちに、母として、女性として、人として、みっともない姿は見せたくない。そんな意地が、時に止まりそうになるあゆみを再び進ませる力になっていました。

 

数年前には互いの間に漂うモヤモヤした空気をもてあますような時期もあった娘たちから、
「この1年間のママの努力と成長を、私はしっかり見てきた。それは今のママの在り方にすべてあらわれている。私は、ママを自分のママと呼べることを、心から誇りに思う」
という言葉をもらったことは、今年一番の喜びでした。

 

どんな時でも嫌な顔ひとつせず力になってくれる友人たちもまた、かけがえのない存在です。みんなの優しい言葉のひとつひとつに励まされ、ダメ出しと共に咀嚼したおいしいご飯とお酒に、ネガティブに傾きがちな心を照らしてもらいました。
大人になれば、みんないろいろあるもの。
でも、そうしたいろいろを詮索することなしに受け入れ、
「あなたがあなたであるだけで十分。あなたを好きでいるのに、他の理由は何もいらない」
と心から言い合える。
そんな友人たちがいる私は、本当に幸せ者です。

 

両親と姉にはたくさんの心配をかけたと思います。
幼い頃からの私を知っているからこそ、私の悪いところも嫌というほどわかっていて、だからこそたくさんの意見やアドバイスをもらいました。気づいていなかったお互いの誤解や思い込みにも、気づくことができました。
頼ることが下手な私を心配しつつ、愛し見守ってくれる家族がいること。そんな家族の一員として育ったことに、改めて心から感謝した一年でもありました。

 

2017年がどんな一年になるのか、今の私にはあまり想像ができません。
でも、どんなことが起こっても、2016年という年を駆け抜けた今の私ならば、きっと大丈夫。そんなふうにも思います。


抱負を述べるとすれば、今年は周囲から与えてもらうことばかりだった気がするので、来年はもっと多くのものを愛する人たちに与えられる自分でありたいです。

>>>>>>>>>>>>

>>>>>>>>>>>>

 

furume

 

 

働きたくない病の妻たち

http://lite.blogos.com/article/204539/

 

子供達が幼い頃は、喘息発作で夜中の病院通いや入院が珍しくなかったし、個々とじっくり向き合って育てることができた専業母(あえて専業主婦と区別します)という環境は恵まれていたと感謝しています。


同時に、40才過ぎてからおそるおそる「外で働く」ことを始めかけた私に、どんどん仕事をふってくださり、励まし、アドバイスをくださり、当時では想像すらできなかった今の私を造って下さったみなさんがいなかったら、私は今でも中途半端に働く専業主婦(子供が大きくなっているので、この辺からは専業主婦という呼称が適当かと思います。厳密にはシングルなので主婦ではないですが)でいたと思います。


この記事では経済面への言及が多くみられますが、社会で他者とふれあいながら働くことは、中年以降も人として成長するために欠かせない要素であり、私自身中年以降働くという選択をしたのは人生の中でもトップレベルの賢い選択だったと思います。でも、誰しも背中を押し、励ましてくれる存在に恵まれているわけではないのも事実。


同年代の専業主婦と話していると、「働くのが面倒くさい」「今さら苦労したくない」、という人が同じ席で「自信がない」とか「就活のためになかなか腰が上がらないのは、今更自分なんか雇ってくれるところないだろうから」といったりして、複雑な気持ちが垣間見えます。


寿命100年時代が嫌でも訪れようとしている今、この先の人生が本人が望まなくてもやたら長い、という認識を持つことは必要。歳をとってから社会のお荷物化する人を生まないためにも、働く喜びへの理解と、一歩を踏み出せないでいる人たちへのサポートが、家庭内外で増えるといいなと思います。

 

furume

 

長時間労働あれこれ

長時間労働の極みは、幼い子を持つ母親なのに、そこをアウトソーシングすることには、まだ社会は批判的。喜びが大きいからって、労働じゃないわけじゃない。

 

やりがいのある、社会的意義の大きい仕事で、自分も成長するから、1日24時間365日無給で働けって言われたら、やりたい人いる?


そして、180度回して、夢や目標があるから、寝食を削る勢いで馬鹿みたいに働きたい人が、長時間労働はだめ、という、画一的な規制でそれを阻害されるとしたら、それはgreater good で片付けていいのかな、と、もやっとする。


人の尊厳と心身を支えるのは、まず能動的に生きるというその人の覚悟じゃないの?

約束じゃないよ

思いは、口に出されたときには約束なんかじゃない。
種が樹木へと育つように、日差しと、影と、水と土と、充分な時間という、たくさんの見返りを求めない支えをただひたすらに吸収して、それは約束になり、なにものかに育ち、そして静かに朽ちてゆく。

 

furume

Pマーク狂想曲

会社がPマークをとる過程にあります。

もちろん、個人情報管理の徹底やクリーンデスクなど、しっかりできているのはそうでないよりずっと良いですが、どんどん極端に走っていて、息苦しいと感じている人も少なくない様子。

 

挙手制でPマーク委員なるものになった人たちが、他の社員がトイレに行く際の離席でも画面ロックしてるか、デスクキャビネットが施錠されているか、書類やスマホが机上に出しっぱなしじゃないかチェックして、注意したり、勝手に施錠したり。

 

先週からはプレ監査控えてもっと厳しくなり、古顔のおじさん社員から愚痴も聞こえてきます。

 

体育会気質とベンチャー気質が特徴の会社なので、さじ加減が下手なところがある。それがこの監査という「受かる受からない」がある「イベント」で、よくない方に出ている感じ。

 

ここ1ヶ月は定例ミーティングのたびに監査員に社員が質問されてもいいようにと記述式試験があるしね。Pマーク取得に向けて、みんなで頑張ろう!という雰囲気が醸成できていたら、会社の体質的には逆に取得目指して盛り上がれたかもしれないけど、そこが前提としてないから、なんか職場がちょっとギスギスしている感じで重いです。

 

早く終われ!Pマーク監査。ちなみに私は当日は有休取ってます。

 

furume

 

限界費用ゼロ社会

寿命100年時代を前提としても、限界費用ゼロ社会のその先が来る前に、おそらく私の今回の人生は終わる、くらいに思っていていいの?

 

https://www.amazon.co.jp/限界費用ゼロ社会-<モノのインターネット>と共有型経済の台頭-ジェレミー・リフキン-ebook/dp/B0178FVSWS


金銭の価値が相対的に下がり、つながり力や信頼がより価値を持つならば、前者はたいして子供たちに残してあげられないであろう私も、後者を作りはぐくむ力はこれまでの子育てで種を蒔けている気がする。

でも、限界費用ゼロ社会の先に何が来るのか。この先の世代を生み育てる幸運に恵まれたからには、やはり考えたいし、考えてしまう。


もっと勉強しなくちゃ。


この激動の時代は実に面白い。そのことに気が付かないで置いてきぼりになるより、知り、考え、知らないということを再認識するというサイクルから何かが生まれると信じる方を、私は選ぶ。

 

furume