おさわりなし。ベッドを温めるだけのサービス
ロシアで人気だそうです。
http://irorio.jp/sophokles/20170202/384318/
1時間9000円も払うなら、多少なりとも接触のあるサービスを頼むことだってできるだろうから、独身男性側もそれは望んでいないと推察される。
まあ、他人の女性がパジャマ姿で自分のベッドにいて、1時間彼女に触れずにおしゃべりをし、その後、その女性の体温と残り香があるベッドで、その声や表情を思い出しながら一人で寝る、というのは、性的サービスを受けるよりもはるかに淫靡であり、ロマンが生息できる場所が確保されている、という点で、男性に人気なのも理解できる。
淫靡さとかロマンは、今のところはまだペッパーくんやAIりんなちゃんが奪えない領域だね。
furume
東日本大震災と東京大空襲
東日本大震災で多くの人々の人生が変わってしまったことを思い、亡くなった人を悼む投稿が多い昨日と比較して、一昨日、東京大空襲に触れている投稿はそれほどではなかったことは純粋に興味深い事実だと思います。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170310/k10010906021000.html
自然災害は恐ろしく悲惨であり、この震災には原発事故という、この先も私たちが背負ってゆかなければならない問題も付随しています。
でも、東京大空襲との大きな違いは、人間性の喪失の有無ではないかと思います。
戦争はそれ自体が人間性を蹂躙するものであるという点で私の中では悪に分類されています。自然災害は悲惨であり被害にあわれた方々のご苦労を軽く見るつもりは全くないけれど、悪ではない。
大空襲というリベンジで命を落とした人々、そしてそのリベンジを遂行した人々。人間性を蹂躙され、人間性を失ってしまった多くの人々の不幸もまた忘れたくないと思います。
furume
国際女性デーに思ったこと
国際女性デーにバズっていた記事のひとつに、「嫁」とか「主人」という言葉を使うのはやめましょう、というのがありました。
特に周辺で盛んにシェアされてたのは、
「主人」や「嫁」という言葉は賞味期限 川上未映子さん
ってやつね。
んんん、共感できない。
まず、この人は、家事・育児といった家庭内労働の価値を低く見積もっている。
家事・育児といった家庭内労働は、「押し付けられるもの」であって、楽しんでやるものではない、やさられる人は可哀想だという前提に立っているのでは。
そして、決定的に欠けている視点は、「男らしさ」「女らしさ」を完全に排除したら、どこに性的な魅力を感じたら良いのかという視点。
知り合いの男性はこの記事を読んで、
「この人は、あらゆるレディーファーストを否定するのであろうか。」
「男性が女性への優しさを忘れた社会なんて、オレはイヤだね。」
と言っていて、それは全てではないにせよ私の感じた違和感に重なる部分もあります。
企業によってはマニュアルまで作ってこの問題に対応しているとか。
昨年から人生初サラリーマンをやっている私としては、ドヤ顔で言っちゃいますよ。
「そんなことに《工数》使うなんてアホくさ」と。
言葉の持つ力は確かに大きい。でも本来女性というのは、「嫁」だの「女の子」だの言われても、そこに内在する差別や理不尽をしなやかに受け止めて、男性を包み込んだり支えたりすることができる強い生き物だと思います。
本質と関係のない、便宜上の呼称にキーキーしないことが「山の神」と男性が《奥様》を表現するような、どっしり構えて男の人の心のよりどころになるというか。
ネットでオピニオンリーダーが表面的なことばかり批判するのは、本来の女性の強さを自ら軽んじていると思うのですよ。
ちなみに国際男性デーは11月19日だそうです。「自分らしさ」以外の「~~らしさ」の被害者という点では、男性だって十分苦労してると思う。
女性、男性、中性、無性、両性といったすべての人々が、性をもとにした抑圧や被害を受けない世界になりますように、と国際女性デーに改めて思いました。
Furume
男女の意識差は海溝より深いのか
この方、現在は婚活お休み中だそうですが、お幸せでいらっしゃることをいのりつつ,... ベタな婚活レポよりこういう記事の方が面白いです。
http://gakehuchiko.blog.fc2.com/blog-entry-13.html
学齢前の子供ひとり。夫婦共フルタイムで働いており、英語ができる妻が海外赴任を打診された。別の会社で働く夫は英語はできない。年収は夫婦同じくらい。
妻の海外赴任に夫が会社を辞めて家族で同行し、子育てと家事の主な担い手となる、という選択は、夫の頭にこれぽっちも浮かばない様子で、夫もどちらの側の両親も、当然妻は赴任のチャンスを辞退すると思っている。
本当は、自分のキャリアのためにも行きたいし、幼い我が子に他の国で暮らす経験もさせたいのに、結局誰の協力も得られなければ、あきらめるしかないと思うと、もやもやしてどうにかなりそう。という女性と話したばかりの私には、非常に考えさせられる記事でした。
furume
いい夫婦を勝手に妄想
昨夜、閉店間際のスーパーマーケットに入ったら、トレンチコート&よれっとしたスーツ姿の60歳は過ぎて見える男性が、ものすごく一生懸命な口調で、スマホで話していた。
「うん、うん。わかったわかった。プリンはないんだよ。うん、うん。うん、うん。どら焼きな。はいはい、どら焼き買って帰るから。ふたつ買って帰るから。走って帰るから。あとちょっとだから、待っててください。はいはい」
と、言って電話を切ると、その人は近くにあったカステラをかごに入れ、本当にレジに走って行った。
「すみません、それカステラです」
と心の中でつっこみを入れながら、スマホの向こうの人は、「これどら焼きじゃないよ」
と笑いながら、でもこんなふうに本当に走って帰ってきてくれる人には
「ありがとう。おいしいね」
と心から言えるのだろうなと思った。
furume
40歳から人生なんて変えられない?何が足りないの?
最近心に留まったこの記事。
http://blog.tinect.jp/?p=11030
このブログ記事自体は、50歳以上の社員しか採用しない会社があり、その会社の社長の言葉が深い、という話なんです。
たしかに、うんうんと頷かされるヒントがいっぱい。
しかし、私が食いついたのは、こっちの画像。
ブログの執筆者がtwitterで回ってきたこの人生年表をみて、前述の会社の社長の言葉を思い出したと書いているだけあり、突っ込みどころ満載です。
「これほどまでに人々を陰鬱な気持ちに陥らせる画像が、今まであっただろうか」とtweetした方も書いている。まあ、明るい気持ちにはなりませんね。ちなみにこのツイートは既に削除されているようです。
どなたかが、少なくともわが子の未来と幸福をまじめに考えて作ったものを、重箱の隅をつつくようにひと言ひとこと批判するつもりはありません。ただ、これは言いたい。
45歳で変えた私が言います。この人生年表の「40過ぎたら人生変えられない」は、30年前の話。
今変えられないとしたら、それは
①知識不足
②人間力不足
③スキル不足
④危機感不足
のコンビネーション。
そしてどれも、思い立った時から努力次第で得ることができる。
それは違う、と思う人には、
「じゃあ、①~④を改めようと、どんなことを今までしてきた?」
そして、
「本当に変えたいの?」と立ち止まって考えてみてほしい。
だって、変えなくたっていいんだもの。それは義務じゃない。
ただ、心身ともに年齢相応に健康で、もう実は訪れている寿命100年社会の一員としてインフラとか使うなら、まっとうに税金収めるくらいのプライドは持ちたいし、持ってほしい。ほかの誰かにしわ寄せが行くのは、恥ずかしいじゃない?(という点でいくと ⑤羞恥心不足 を加えてもいいかも)
道路も使わない。ごみの収集も必要ない。お金なくなっても生活保護なんて申請しないし、バスや電車のシニアパスもいらない。
そういう生活ができるなら、いいのかも。
これからの社会は、働かないことは、きっと贅沢なことでも楽なことでもなくなると思う。専業主婦や働かない(働けない)シニア世代は、100歳まで生きるのが普通という長い長いこの先、どうするのか。
ずっと毎日、時間つぶし?ほんとに?