国際女性デーに思ったこと
国際女性デーにバズっていた記事のひとつに、「嫁」とか「主人」という言葉を使うのはやめましょう、というのがありました。
特に周辺で盛んにシェアされてたのは、
「主人」や「嫁」という言葉は賞味期限 川上未映子さん
ってやつね。
んんん、共感できない。
まず、この人は、家事・育児といった家庭内労働の価値を低く見積もっている。
家事・育児といった家庭内労働は、「押し付けられるもの」であって、楽しんでやるものではない、やさられる人は可哀想だという前提に立っているのでは。
そして、決定的に欠けている視点は、「男らしさ」「女らしさ」を完全に排除したら、どこに性的な魅力を感じたら良いのかという視点。
知り合いの男性はこの記事を読んで、
「この人は、あらゆるレディーファーストを否定するのであろうか。」
「男性が女性への優しさを忘れた社会なんて、オレはイヤだね。」
と言っていて、それは全てではないにせよ私の感じた違和感に重なる部分もあります。
企業によってはマニュアルまで作ってこの問題に対応しているとか。
昨年から人生初サラリーマンをやっている私としては、ドヤ顔で言っちゃいますよ。
「そんなことに《工数》使うなんてアホくさ」と。
言葉の持つ力は確かに大きい。でも本来女性というのは、「嫁」だの「女の子」だの言われても、そこに内在する差別や理不尽をしなやかに受け止めて、男性を包み込んだり支えたりすることができる強い生き物だと思います。
本質と関係のない、便宜上の呼称にキーキーしないことが「山の神」と男性が《奥様》を表現するような、どっしり構えて男の人の心のよりどころになるというか。
ネットでオピニオンリーダーが表面的なことばかり批判するのは、本来の女性の強さを自ら軽んじていると思うのですよ。
ちなみに国際男性デーは11月19日だそうです。「自分らしさ」以外の「~~らしさ」の被害者という点では、男性だって十分苦労してると思う。
女性、男性、中性、無性、両性といったすべての人々が、性をもとにした抑圧や被害を受けない世界になりますように、と国際女性デーに改めて思いました。
Furume